こんにちは、今日も印象的な出来事があったので共有させてください。
スタンフォード大学で出会った駐妻さんと、キャンパスに隣接する街、パロアルトでお茶をしていた時のことです。
彼女は小さな子供がおり、定期的にナニーさんがお手伝いに来てくれるそうなのですが、そのナニーさんの家を訪問する機会があり、キャンピングカーなどが立ち並ぶ駐車場のコンテナにお住まいだったことがわかり驚いていました。
というのも、そのナニーさんは生活に困っている様子はなく、時折プレゼント交換もしていたとのことです。その話を聴きながら私の脳裏には、道路脇にずらりと停まっているキャンピングカーが浮かびました。それらはシリコンバレーの格差を映し出す風景の一部として定着しており、高騰しすぎた不動産や家賃を表す象徴に思えます。
そんな話をしていた時に、物乞いの親子が店内を歩いて援助を求めており、私たちのテーブルにも来たのですが渡せるものがなく、鞄に入っていた飴を子供に渡すのみでしたが直後に店員さんから促され退店されました。見たところその親子は英語もままならず、着の身着のまま遠い故郷を追われたように見え、直後に同じような人種、風貌の別の方が再びいらっしゃいました。
私は幼い時に途上国を訪れることが多く、住んでいたこともあったのでこのような出来事は日常でしたが、現金社会だったこともあり、小銭を持ち合わせている人が多かったので両親を含め、周りの大人がポケットから少額支援をする様子を見て育ちました。
もちろん日本では殆どない光景でしたし、シリコンバレーに移住してからもここまでの出来事はなかったので印象的でした。彼らはどんな支援を求めているのか、何ができるのか、考えさせられる気持ちは幼い時から変わらず、何度見ても自問自答を繰り返しています。
特に、現金を持ち歩かなくなった今の都市部で彼らが生き延びる術は何なのか。おそらく、正式な滞在許可がなければ公的なサービスにもアクセスし難く、言葉の壁が更に民間との距離を生む。
故郷でも移住先でも、平和な空を仰げることに改めて深く感謝し、心を落ち着けています。
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